昨日、日本では母の日にあたる日で、街中いたるところに母の日フェアが繰り広げられていた。
いろいろな商品が母の日用としてラッピングされていた。
スーパーではお造りの盛り合わせや、お惣菜のオードブル、お寿司などテイクアウトコーナーは母の日シールがたくさん貼られていた。
以前はそこまで深く思う事はなかったのだが、自分が40を過ぎ、もう私は子供を授かることがないと思うと“母親”というものにはなれないんだなと思う。
近年、ペット同伴オッケーのカフェなどに行くと「(ペットの呼び名)のお母さん」と呼んでいらっしゃる方々を見て、『あーペットを飼ったらペットのお母さんにはなれるのかもしれないなぁ』と思うものの、なんだか“なんとかちゃんのお母さん”て言われるのも今更ながら、むずがゆいのかもしれないな…とも思った。
自分の[こうなるかもしれない]という1つの可能性的なものが消えてしまうのを認識するのもあり、なんだか自分の母親に対して、今年母の日の贈り物などをしていなかった事が気になってしまった。
今更ながら何かしたほうがいいんじゃないのかと思うのは広告等の煽りからでもある。変な焦りも相まって、お母さんに何も用意してなくてごめん的な謝るようなLINEを送ってしまった。
母はお気遣い無用とLINEをしてくれたが、なんかそのままでは気持ちが収まらなかったのもあり、Coke ONのドリンクチケットをLINEギフトから送った。
こうやって2024年の母の日は終わったのだが、終わって思う事は商業的な○○○の日に踊らされることなく、自分がどうしたいかとの考えを持ち、不惑の40代に早くなりたいものだとしみじみ思う。
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